樋口一葉

明治を駆け抜けたアントレプレナー

樋口一葉の生涯

【要旨】

 明治時代、24才という若さで夭折した女流作家である樋口一葉は、「たけくらべ」、「にごりえ」といった名作のほか、40冊に及ぶ日記を残している。その日記には、その日の天気を始め日々の生活や行動内容が記されていると同時に、作家を目指した樋口一葉が小説の題材を記す場所としての意味をもっているといえる。樋口一葉に関しては、これまで多くの研究者によってその生涯や作品についての研究が行われてきた。樋口一葉の、小説家として成功するまでの取り組みやその姿勢には、その本質的な部分で現代のビジネスプロセスと共通することが多い。

 日記とは、本来ならば個人が静かにしたためるものであるが、樋口一葉の日記には小説家を目指し、日々の暮らしから捉えた世の中の動きを記録し、やがて小説を生業とするための準備に使ったものであったことがみて取れる。まさに文学作品ともいえる日記を通じて、起業家樋口一葉の軌跡を追うとともに、偉業を成し遂げる人物はどのようにビジネスを成功へと導くのかというステップを検証した。

【キーワード】

日記、本郷菊坂町、下谷竜泉寺町、丸山福山町、伊勢屋、小説、商い、実業、小説、萩の舎

【樋口一葉の生い立ち】

1. 豊かだった幼少時代

 樋口一葉(本名:奈津)は1872年3月25日(太陽暦では5月2日)に東京府xxx(現在の千代田区内幸町で、父則義、母たきとの間の次女として生まれた。

2. 研究活動

 幼いころから読書が好きで、文京区本郷6丁目(現在の東京大学赤門前)にあった広い敷地の家に住んでいた時には蔵の中で多くの書物を読んでいた。

樋口一葉は当初、公立の本郷小学校に入学したが、公立校の教育方針が父の考えに合わなかったため、xx小学校に転校している(xxら、xxxx年)。

その後も、親の事情で複数回転居し、それに伴い転校を行なっている。最終的には、黒門町(要確認)の青海学校であるが、高等4年の成績はトップであった(xxx、xxx年)。それは樋口一葉が、学ぶこと、知識を吸収すること、また一つの疑問を紐解いていくような探究心がその頃からあったことを如実に示すものであり、その後、大きく成長する素地になっているといえる。

 家族が御徒町に転居したときに通っていた青海小学校では、4年で主席になるほどの優秀さだった。しかし、女子には学問よりも裁縫やxxなどの方が重要と考えた母の考えにより、上級への進学は断念している。このことは、断腸の思いとして樋口一葉自身がのちに日記に記している。のちに日記の中で、学問を受けていない身であるといった表現を使っている。

 娘への教育を重視していた父は、やがて中島歌子が主宰する歌塾、萩の舍へ通わせる。この歌塾は名家の娘が通う場所であり、身分の低い樋口一葉は友人となるxxx、xxxとともに平民3人組と言われた。

 身分の違いはあっても、幼いころから多くの書物を読み、貪欲なまでに知識を吸収する姿勢は、高等教育は受けてはいなかったものの、古典に関する知識は身に付けていたと思われる。

3. 女戸主としての自立

 

4. 起業家精神の発揮

【事業を成功へ導く3要素】

1. 思い続けること

情熱
コアバリュー
信念
こだわり
プランB

2. 研鑽を積むこと

ロジックを組む
データ
マーケティング
キャッシュフローマネジメント
失敗からの挽回
焦らない
粘り強さ

3. 大切な仲間を作ること

チームワーク
信頼

仲間をひきつける魅力

*ガッツがある

*膨大な資料を読み込み、データを収集する

日記の冒頭は、古典を読んだ内容を引用したり、それを今の状況と重ね合わせることから始まることが多い。

学んだことを書き留めたり、自分流にまとめてみるという手法が、樋口一葉にとっての主たる学習法だったようである。現代でいうサブノートとかまとめノートのような位置付けだ。

一つのテーマや課題について、知識をまとめていくツリー構造を実践していたのだと思われる。

古典や中国の故事は冒頭だけでなく、日記の随所に登場する。

樋口一葉がやがてその作品の中で表現することになる題材を始め、流れるような文体を表現してるのは、こうして膨大な文献を調査し、日記の中で表現してきたからこそ自分自身のスタイルとして確立させることができたと考える。

マーケティングにとってデータは何より重要だ。

(経営者の例記載)

*研鑽を積む

現在入手できる資料を基に日記が書かれた時期と分量を見ると、本郷菊坂の時期に多くの記載がある。

丸山福山に移って後は、日記の記録がない箇所があり、それが実際に存在しないものか、あるいは資料として入手できないのかは不明である。

日記には、破裏取られた箇所や黒く塗りつぶされた箇所もある。

しかしながら、樋口一葉の作家としての活動を考慮すれば、その活動に大きなフェーズがあることがわかる。

(日記記載量の推移)

樋口一葉が小説家としてデビューし、その後森鴎外に絶賛されるまでの道のりは、ゴールを達成するまでのビジネスディベロップメントの過程に置き換えることができる。

樋口一葉は本郷菊坂時代に日々の生活をベースに日記という形で活字にしている。樋口一葉に関しては、その資料の多さから、長い間多くの研究者によって研究が行われている。

樋口一葉研究の基本と言われているのは、塩田良平氏による樋口一葉研究や、和田芳江氏の日記を始めとする文献が挙げられる。また、両氏が編集に加わった樋口一葉全集(筑摩書房)には、名作と言われる数々の未定稿や日記、雑記などが収められている。

樋口一葉は、日記を複数の目的で記していると思われる。一つは純粋な日々の記録だ。友人との交流、自然の観察、行動記録などだ。一方で、古典の勉強を進める過程でのまとめノートとしての役割、千蔭流という書体の練習帳としての役割、そして、小説家を目指したときからの練習台だ。

樋口一葉の生涯を見るとき、その24年という短い一生にはいくつかの特徴的なフェーズがある。

一方で、生活のための資金を得るためには新たな取組みが必要になる。新規事業への取り組みだ。それが、作家を目指した樋口一葉にとっての実業への進出である。この時期の、実業というまったく

(経営者の例記載)

*サポーターの存在

樋口一葉と瓜二つといわれたという妹の邦子の存在は、あまりにも大きい。それは、創業者が大きな目標を掲げ、事業を実行する上で欠かせない参謀のような位置づけに近い存在だ。ビジネスの世界でいえば、CEOがいて、CFOやCOOの活躍が大きな成長に必要になることと共通している。樋口一葉姉妹や親子にある血のつながりの強さと、企業経営における経営陣のつながりとを比べることはできないが、共通の目的や課題を共有していることには違いはない。(経営者の例記載)

日記には、資金繰りに苦労する場面は多い。困窮を極め、取れる手段はなんでも取るといった心境であったと思われる。初対面の怪しげな人物をも訪問してしまうのには、並大抵の度胸では叶わない。

貧しいながらも、心まで貧しくはならなかった樋口一葉である。日記に度々書かれているが、常に母や妹のためを思い苦難を乗り越えることができたのは、豊かな幼少時代を送ったこと、親の愛情を実感できたこと、夢の実現を信じ続けていたからではないかと考える。

資金繰りのために母は奔走し、妹はその器用さでお金を稼ぐことができた。目標を共有し、それぞれが役割を果たしていけるからこそ、日々の苦労を乗り越え、やがて夢を実現したのだと考える。現代のビジネスの世界でもなくてはならない姿勢だ。

x月x日の日記には、「邦子は蝉表職中の…」と妹の製作したものが評判がいいことを誇らしげに書いている。

*アドバイスを求める

樋口一葉は当時朝日新聞の記者で朝鮮半島にも駐在していた半井桃水に小説の指導を受けることになる。この半井桃水との出会いはその後の樋口一葉の人生に大きな影響を与える。

(経営者の例記載)

*大胆な行動をとる

*観察する

*新たな方法を実践する

*コンプレックスを味方にする

樋口一葉は、学業を高等小学校4年までで終了させたが、特に萩の舎に通い初めて以降は常にコンプレックスと戦っていたはずだ。

*新規事業に取り組む

明治26年6月29日、家族3人で熟議の末、商売を始める決意をする。

小説家を夢見ながらも、生活は困窮し商いの道を歩むことになった。そうした一大決心に対して、母は、志が弱いからと嘆いている。事業を成功させようとすれば、その過程で思い通りにならない場面は数多く現れるが、目の前の現実を考えれば母のそのような嘆きも、親としては思わずもらしてしまう気持ちかもしれない。

しかしながら、一大決心をし、慣れない商いをおこないながら、商材を仕入れる役割を果たす一方で上野の図書館へも通い、多くの書物に触れて研鑽を積んでる。

*環境変化に対応する

*決意を記す

現在、樋口一葉の日記は生涯で40冊以上の日記を残している。鳥の部と名付けられた2冊のほかに、「若葉かげ」から「みづの上」まで、5年3ヶ月の間に40冊ほどの日記を残している。

この日記こそが、樋口一葉が日頃観察した出来事、古典を始めとする文献調査の活動記録であり、日々の生活、季節、自分を取り巻く人々の人間模様、そして資金調達に至るまで、多くの情報を記録している。

同時に、樋口一葉が志した小説家となるための決意を記すだけでなく、その題材でありドラフトとなる情報も併せて記載するいわば樋口一葉にとっての書庫である。

決意は紙に書く、または活字にすることでより心に深く刻み込まれることは、現代まで多くの経営者や起業家が行なっていることである。

(経営者の例記載)

*とにかく稼ぐ

日記「若葉かげ」の中に妹邦子の蝉表の技術が高いと評判になったという記述がある。その話を聞いた母滝は大いに喜び、今日はいつも以上に酒があまいと酔う場面を書いている。そこには、苦労も喜びも全てを共にする家族の強い絆がある。

*仕事を楽しむ

自分が望む仕事だけが出来ているといえるビジネスパーソンはどのくらいいるだろうか。大きな夢を持って、その実現に向けて努力する過程で、起業家も多くの困難に立ち向かい、それを克服している。「やりたいことをやるためには、やりたくないこともやる」。かつて筆者がとある女性起業家から聞いた言葉である。表現はともかくとして、本質的には、これと共通する思いを持ったことのある起業家は多いのではないだろうか。

(経営者の例記載)

*分業制をとる

下谷龍泉寺町で過ごした約10ヶ月では、姉の樋口一葉が仕入を行い、妹の邦子が店を管理していた。樋口一葉は、仕入を行うと同時に上野の図書館へ通い、引き続き多くの書物を読んでいる。

(経営者の例記載)

*コンペティター出現への対応

明治27年1月7日の日記に、店の向かい側に同業の店ができたという記録がある。その後は、売上も伸びず、やがてこの商売も終了となる。

(経営者の例記載)

*集中力がある

小説を書き上げていくうちに、夜中になる。健康を案じた母が、早く寝なさいと促す場面がある。体を壊してしまっては元も子もないが、ある一定の品質を保ちつつアウトプットを出し続けるには集中力がいる。

*粘り強く取り組む

その後生まれた松下幸之助は、「時を待つ心」が必要だと言っている。

*巧みに交渉する

初対面の相手に偽名を使って訪ねる場面がある。

下谷龍泉寺町から訪問しているが、今も残る鎧坂を通り真砂町へ行くシーンでは、かつて住んでいた本郷菊坂の家からはほんの数メートルの場所であり、今でもその光景を現地で体験することができる。

*どのように勝負するか
作戦の計画を巡る対立
(失敗の本質)

*支援を引き出す

*売れる商品には感性がある

桃水に読者受けしないと言われても、自分自身のスタイルを貫いたその確固たるポリシーが、樋口一葉の作品を通じて流れている感性がある。

*コアバリューを確立する

事業を継続するには、とれる手段はすべてとる必要がある。その一方で、自分または自社が得意とする分野で力を発揮することが結果を出すことにつながる。つまり、自分にとってのコアバリューを発揮する必要がる。

(経営者の例記載)

*夢を持ち続ける

夢を持ち続けるということは、諦めずに続けることにもつながる。

*変化を読み取る

*決断する

事業を続けるにも活動資金が必要になる。もうこのままでは生活できない、そう考えた末に商いを始める。古典を学び、歌を詠み、小説家を目指した樋口一葉が、これまでに出会ったことのないような人々に雑貨や菓子を売る。人生の大転換だ。

*結果を出す

*改革を目指す姿勢
和歌
中島歌子のポリシーとの違い

*人々を惹きつける魅力をもつ

訪れた仲間にうなぎを振る舞う。おもてなしの心、つまりホスピタリティだ。

5. 取り組んだ日記の期間とボリューム

 明治24年の「若葉かげ」以来、40冊の日記を確認することができる。その分量は国会図書館デジタルコレクションの情報に基づけば、累積で78ヶ月に及ぶ。確認できるページは447ページあり、単純計算をすれば1ヶ月あたりのページ数は平均で5.7ページとなる。

 日記の記載ボリュームは本郷菊坂時代から、下谷龍泉寺町時代にかけて多くなる。しかしながら、丸山福山時代には確認できない期間があるのと同時に、ページのボリュームも減少している。これは、まさに、前半で日記の形で情報を整理し、後半は小説の執筆にその成果を移行させていることがわかる。

 日記を残した時期、その分量を分析すると、起業家樋口一葉が人生のすべてをかけた集大成となる作品という形で結果を残したことにほかならない。

(日記チャート)

Fig. 1

Fig. 2

Fig. 3

6.キャッシュフローマネジメントの重要性と苦労

 資金繰りを誤れば、経営は行き詰まってしまう。資金繰りに苦労し、どん底を味わった者でなければその本当の苦しみは理解できない。樋口一葉は父を亡くして以降、女戸主として家を守った。もちろん、その資金繰りには母の滝がその調達に奔走する場面が日記に多く記載されている。

7.信念を貫く姿勢

 成功する経営者や起業家に共通することの一つは信念を貫くことだ。樋口一葉も、一時慣れない実業の世界で苦労したが、その最中でも、小説を書くことへの情熱を失うことはなかった。

 決して諦めないその姿勢は、苦労の中でもたくましく生き続けることができる秘訣だと考える。

(経営者の例記載)

8. 作家としての成功

 ビジネスを成功へと導くには様々な要因があり、これまで多くの経営者、研究者らによって分析や提言が行われている。

 江戸から明治へと変わり、大きく近代化に向けて舵をきった日本であったが、樋口一葉が生きた時代はまだ身分制度が残っていた時代である。

 そのような社会で、自らのアイデンティティを確立するために情熱を持ち続け、やがて文豪にも認められる偉業を成し遂げた樋口一葉は、まぎれもない明治の女性アントレプレナーであるといえる。

 樋口一葉の生きた時代から100年以上が経過した現在、ビジネスにまつわる多くの情報や文献がある。そこには様々な切り口から経営を見つめ、どのように成功へ導くかといった手法やプロセスが説明されている。

 その一方で、ビジネスを始めひとつの事業を実らせるための準備、努力、情熱、工夫、忍耐など、本質的な面では共通項が多いと筆者は考える。つまり、切り口や視点の違いはあっても、本質的な起業家精神という部分では変わらない。

 現在のような社会的基盤や情報が整備されていな時代に生きた先人たちは、すでにその本質的なプラットフォームをもち、なおかつ実践していた。

 樋口一葉はその特徴的な人物の一人だといえる。

我が国が近代化に向けて大きく方向転換して行った明治という時代に、夢の実現のために努力と研鑽を積んで、貧しさと戦いつつも厳しい環境を乗り越えながら、やがて多くの人々に支持される作品を残した。偉業を成し遂げた樋口一葉が生きた時代から、120年以上が経過している。

今でも多くのファンを持ち、現在も多くの研究者がその研究対象としている。明治を駆け抜けたアントレプレナー樋口一葉は、今も私たちの心の中に生き続けているのである。

【主要参考文献】

(国立国会図書館デジタルコレクション)
樋口一葉全集 ; 第4巻
一葉日記集 上巻
春陽堂文庫

(国立国会図書館デジタルコレクション)
樋口一葉全集 ; 第5巻
一葉日記集 下巻
春陽堂文庫

樋口一葉全集

筑摩書房

にごりえ・たけくらべ
樋口一葉
新潮文庫

新日本古典文学大系 明治編
樋口一葉集
菅聡子 関礼子 校注
岩波書店

日本の作家100人 人と文学
樋口一葉
戸松泉 著
勉誠出版

樋口一葉考
中村稔 著
青土社

なつ 樋口一葉 奇跡の日々
領家髙子 著
平凡社

樋口一葉 人と作品
福田清人 小野芙紗子 著
清水書院

新潮日本文学アルバム
樋口一葉
新潮社

樋口一葉と歩く明治・東京
野口碩 監修
小学館

参考文献(論文)

*** ビジネス関連参考文献追加 ***

恒産無くして恒心無し

孫子
スティーブ・ジョブズ
ジェフ・ベソス
失敗の本質
松下幸之助
偉人の言葉
マーケティング
Googleが欲しがるスマート脳
社長業
プランB
起業
キャッシュフロー経営
女性の品格
親の品格

*** 参考資料 ***

国土地理院
明治元年以降の主な地震災害

各ページ

プレゼンテーション形式で、明治5年から明治29年の生涯のどの位置にそのエピソードがあったかを示す